高知城の初代藩主は誰ですか?
歴代土佐藩主
藩主名 | 在任期間 | |
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1 | 一 豊(かつとよ) | 慶長5年11月~慶長10年9月 |
2 | 忠 義(ただよし) | 慶長10年11月~明暦2年7月 |
3 | 忠 豊(だだとよ) | 明暦2年7月~寛文9年6月 |
4 | 豊 昌(とよまさ) | 寛文9年6月~元禄13年9月 |
キャッシュ
高知城の城主の妻は誰ですか?
高知城にある千代と馬の像。 初代土佐藩主となった戦国大名の山内一豊(やまうちかつとよ)。 その妻・千代(ちよ)が、高価な名馬を購入するため、持参金、いわばへそくりを夫に差し出したという有名な逸話がモチーフとなっています。
高知の武将は?
土佐の七雄とは 七雄・七守護とは本山(もとやま)氏・安芸(あき)氏・大平(おおひら)氏・津野(つの)氏・吉良(きら)氏・香宗我部(こうそかべ)氏(山田(やまだ)氏のときもあり)・長宗我部(ちょうそかべ)氏のこと。 別格として公家大名の一条氏がいる。
高知県は何藩でしたか?
土佐藩(とさはん)は、廃藩置県以前に土佐国(現在の高知県)一円を領有した外様藩。 明治初年の正式名称は高知藩(こうちはん)。
山内一豊 何をした人?
「山内一豊」(やまうちかずとよ)は、1545年(天文14年)から1605年(慶長10年)までを生きた戦国武将です。 「織田信長」「豊臣秀吉」「徳川家康」の3人に仕えていたことはよく知られていますが、実は様々な城の城主を務めています。 山内一豊は、「尾張国」(現在の愛知県西部)で誕生。
高知城は国宝ですか?
高知城は1934年(昭和9年)に廃止された国宝保存法により国宝に指定された。 高知城が国宝に指定された主な理由は、天守などの15棟もの建造物が築城当時の状態のままで残っているため。
高知城の家紋は?
丸三葉柏紋(まるにみつばかしわもん)
山内氏を示す意味を持つ家紋で、鎌倉時代の初めには全国に分居していた山内氏が使用していました。 土佐山内家の家伝によれば、藩祖一豊の父盛豊が、丹波の戦で柏木を指物として武功を挙げて以来、家紋となったと伝わっています。
山内一豊が築いた四重天守の名城は?
高知城は鏡川、江の口川を外堀とした約44mの大高坂山に関ヶ原の戦い後、掛川から入封した土佐藩初代藩主の山内一豊が築いた城で、この地には、もともと南北朝時代に大高坂松王丸によって築かれた大高山城という居城があったという。
高知県の歴史的人物は?
偉人長宗我部元親 ちょうそがべもとちか●1538~1599(南国市)山内一豊 やまうちかつとよ●1545~1605(愛知県)野中兼山 のなかけんざん●1615~1663(兵庫県)武市瑞山 たけちずいざん●1829~1865(高知市)坂本龍馬中岡慎太郎板垣退助吉田茂
高知の歴史上人物は?
坂本龍馬をはじめ、明治維新で民権運動に奔走した板垣退助や、三菱財閥の基礎を築いた岩崎弥太郎、数奇な人生からアメリカと日本の橋渡しをしたジョン万次郎も高知出身の人物です。 それら歴史を大きく動かした偉人の生家や、貴重な資料を集めた博物館が多いのも四国の魅力の一つと言えます。
高知の昔の呼び名は?
「土佐(とさ)」の名前(なまえ)は、神話(しんわ)で「土佐国建依別(とさのくにたけよりわけ)」と呼(よ)ばれたことにはじまります。
大政奉還をしたのは誰?
1867年10月3日、土佐藩の前藩主山内豊信(やまうちとよしげ)(容堂)は、15代将軍徳川慶喜(とくがわよしのぶ)に、幕府が朝廷に政権を返上する大政奉還(たいせいほうかん)を進言した。
山内一豊 誰につかえた?
一豊は流浪の末にいく人かの主君に仕えたのち、織田信長の家臣であった秀吉に仕え、信長の越前朝倉攻めでは秀吉の配下として武功をあげ400石の領地を与えられた。
山内一豊の養子は誰ですか?
一豊は弟康豊の子・忠義(幼名・国松)を土佐山内家跡目養子にしていた。
全国でも高知城だけのものは何ですか?
本丸の全ての建物(本丸御殿、東西の多聞櫓、くろがね 黒鉄門など)が現存しているのは全国でも高知城のみである。
高知城の懸賞金はいくらですか?
高知)高知城の国宝化願い、新資料に懸賞金500万円:朝日新聞デジタル
土佐藩の山内家の家紋は?
丸三葉柏紋(まるにみつばかしわもん)
山内家の本紋。 山内氏を示す意味を持つ家紋で、鎌倉時代の初めには全国に分居していた山内氏が使用していました。 土佐山内家の家伝によれば、藩祖一豊の父盛豊が、丹波の戦で柏木を指物として武功を挙げて以来、家紋となったと伝わっています。
土佐藩 何家?
土佐藩の概要と歴史
石 高 | 旧 国 | 藩 主 |
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20.26万石 | 土佐国(高知県) | 山内家 |
掛川城 誰が住んでいた?
掛川城
掛川城 (静岡県) | |
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築城年 | 文明年間(1469年〜1487年) |
主な改修者 | 山内一豊 |
主な城主 | 朝比奈氏、山内氏、太田氏、石川氏 |
廃城年 | 1871年(明治4年) |
掛川城は誰が建てたの?
室町時代、駿河の守護大名今川氏が遠江進出を狙い、家臣の朝比奈氏に命じて築城させたのが掛川城のはじまりです。 戦国時代には、山内一豊が城主として10年間在城しました。